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この間忙しかったのが一区切りついたので、久々にお酒でも飲もうと思って家で飲んだら1杯目でもううんざりするぐらい酔ってしまって、これならカルピスにしておけばよかったと思った。
カルピスの原液を買うのにハマってて、濃いめに作っては「いい家」ごっこをやってる。そもそもこんな濃度で経済状況が偲ばれる飲み物を強気に出してくる時点でいい家だよな、なんて思う。やっぱりいい家すぎると原液がそのまま出てきちゃうのかな?高い酒って水割りとかしないで飲むじゃんか……まあよく知らないけど。
大人=お酒みたいなイメージから来るあこがれが冷めて、アルコールくさいソフドリでしかないチューハイ系飲料はあんまり進んで飲みたいとは思わなくなってしまった。日本酒とかはまあそういうもんだってことで飲みはするけど、雰囲気で飲んでるところもあると思う。
最近は炭酸水を買って飲むことがちょくちょくある。無糖でレモン風味、みたいなやつが好きなんだけど、これよく考えたらノンアルコールのレモンサワーだなって思った。ノンアルコールだとレモンサワーってこんなにうまいんだ……!
子供の頃は敏感だった味覚が大人になるにつれ鈍くなっていくのが味覚の変化の実際、みたいな話を聞いたことがあって、お酒のアルコールの感じが好きになれないのは育っているべき何かを落としてたんじゃないかと思ってしまう。まあ考えても思い当たるところはないんだけど。
子供の頃嫌いだったけど今好きな食べ物といえば、ナス。あれが実はナスとして食べるのではなく漬けダレスポンジとして食うってわかってから結構好きになった。ナスの天ぷらとかが好き。
田村ゆかりが前にラジオで結局焼肉のタレつけたティッシュでごはん食えるみたいなことを言ってた。家庭料理なんかじゃ特に素材の味なんてなかなか感じられないよ。調味料が味担当、食材が食感担当の分業制だよ飯って。
まあ味覚って別にこれで完成ってわけでもなく、今後も変わっていくのかもしれないし。今は絶対にないけど「たけのこの土佐煮」とか「いんげんの胡麻和え」とか「味噌ラーメンの絹さや」とかをさ、こう、ありがたがって食うことになるかもわからないから。
親が弁当の彩りみたいなのに気を使うタイプだったので、高校の頃の弁当とかにはそれこそ「ほうれん草と油揚げの煮物」とか「切り干し大根と人参の和え物」の冷食のちっちゃいカップが入っていた。
冷食ってことには全くもって文句はないんだけど普通に食べ物として大好きってわけではないので、いつもどうしたもんかと思っていた。僕の好きなものいっぱいのお弁当でいいじゃんか、別に誰が見るわけでもないんだしさ……と思って。ただ親からすれば彩りを保つっていう一定のクオリティのラインを持って毎回作ってくれてたわけなので、申し訳ない気持ちもある。
もうたぶん誰かが自分に毎日弁当を作るなんてことはないって思うとなんか悲しくなってきちゃったな。もうちょい大事に食べておけばよかったかもしれない。