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このGWの直前にコロナに感染、発症した。

有給休暇を使って作った10連休はそっくりそのまま自宅療養期間に代わり、出かける予定も人と会う予定もキャンセルしてひたすら横になっていた。

はじめの2,3日はそこそこ辛く、熱も高い状態が続いていたんだけど、ある程度日が経ってくると体も楽になって余裕が出てきたので、SNSを見たりして過ごした。

載っている写真は美味い飯、仲のいい友達、綺麗な景色、高い趣味の品などなど。だいたいいつも同じようなものを見てムカついている気がするが、病に臥せる自分とイキイキと連休を満喫するSNSの向こうの知り合いを比べると、より一層ムカついて、心の底から「全員感染してしまえ」と思った。

 


SNSで何かを誇る人たちに怒るのは気持ちがいい。別にその人たちもそれ相応のコストを支払っていい思いをしているのだから、僕のような何の努力もしない人間に妬まれる筋合いなどないはずなんだけど、ぱっと見ではただただ降って湧いたようにいい思いをしているようにしか見えないのでムカついてくる。彼らは恵まれているから幸せなように見え、僕は恵まれていないために不幸せなのだと思える。

別に他人のとてつもない贅沢に対して腹が立つわけではない。もっとこう、気の合う人と好きな場所に出かけて楽しい時間を過ごしたみたいな、一朝一夕ではどうにもならない人とのつながりみたいなものを見せつけられるたびに、自分が取りこぼしてきたものへの焦りと腹立たしさが湧き出てくるのだった。

 


人間関係も維持・拡大を続けなければ友達や関わる人々は減ってしまう。定期的に連絡を取らなければ、大抵の人とは疎遠になっていくというのは日々痛感していることだ。

数ヶ月前、僕はそうやって人との関わりが薄れていくことで感じる寂しさや人恋しさは自分の弱さのためで、それから逃れるためだけに人と関わろうとするのはなんだか自分勝手なことのように思い、人と下心を持って関わるのをやめた。そして、人を求めるのではなく、人から求められるような存在となることで間接的に寂しさを解消しようと思った。自分の価値を磨くことで、ちやほやされれば寂しくなくなるだろうと思ったのだ。

だが、いくら考えても自分に他人から求められるだけの価値は見出せなかった。まだまだいくらでも替えがいる健康優良男児でしかなく、なんなら今はコロナにかかって不健康ですらある。

そして正直それは他人にも言えることのように思えた。毎日たくさんの人と楽しい夜を過ごしている彼も、交際相手が絶えず目まぐるしく変わる彼女も、たしかに魅力的ではあるものの、目を見張るようなかっこよさや飛び抜けたおもしろさがあるわけではないように思えた。ただ共通して感じられるのは、ちやほやされたいと主張し行動できる図々しさ、僕が自分勝手だと嫌った下心だけで、幸せそうな人は当然のように持ち合わせているそれを持たないと決めた自分は、やっぱり幸せにはなれないのだと思った。

 


先日、先輩と仕事の話をしながら飲んでいて、誰か呼ぼうという話になり、僕の同期の女性に声をかけることになった。

彼女は部署が近いこともあってたびたび昼飯を食べながら話すことがあったんだけど、いつからかその時その時の交際相手の話ばかりを赤裸々に伝え聞くようになっていた。馴れ初めの話やデートの話、LINEの話やプレゼントの話、最終的には彼と話した内容のログをそっくりそのままもう一度僕に話されて目が✖️✖️←こんな形になり出した頃、その彼の話題は別れ話になっていて、サイクルが早い人なんだなあと思っていた。

そんな彼女は来るとなんだかとても疲れてイライラしていたようだった。具合が悪い時期なのかなと思ったが、話を聞くと彼女は、前日にマッチングアプリで出会った男性と飲んで泥酔し、そのまま男性を一人暮らしの自宅に招き入れ、眠れないまま朝を迎えたところ、前日にした高い買い物の袋を丸ごと失くしていたことに気づき、あちこちに電話をかけて探し回っているのだと言う。

僕は普段から聞いている通りの赤裸々な話なので、またこんな感じかと思い目が××ぐらいになりかけていたが、一緒にいた先輩の方は綺麗な女性(彼女は綺麗なので)がそういった話をすることに興味を持ったようで、飲みの場の話題は完全に彼女の独壇場となった。

彼女は先日付き合っていた男性と別れ、寂しさを紛らすようにマッチングアプリを眺める日々を送っていた。そうしているうちに一人の男性と出会ったらしいのだが、その人とは会う気にならず、ダラダラとメッセージのやり取りを続けていたところ「友達を紹介する」と言われ、まだ大学生だという別の男性と知り合うことになったという。写真を見たらめちゃくちゃタイプで、メッセージのやり取りにも知的な雰囲気が感じられ、何なら名前もカッコよく見えてきて、唐突ながら明日飲みに行こう!と誘うことにした。彼は予定があるので遅い時間からならと言いながらも来てくれて、久々に良い男と会ったら話もメッセージと変わらず知的で面白くて、お酒もなんだかよく回って、あっという間に終電の時間を超えてしまった。あるいは、最初からそのつもりだったのかもしれないという。彼も彼女も何だか煮え切らない雰囲気で、ただ「もう少し一緒にいたいような……」という思いがあって、なし崩し的に彼女の自宅に連れて帰り、一緒に寝ることになった。そして翌朝、あまり眠れずに朝の支度をしている時に、前日の買い物袋がないことに気づいたとのことだった。

「ちょっと待って」僕は聞いた。「何で眠れなかったの?」

先輩は呆れて流そうとしたが、彼女は僕が自分に対して婚前交渉を許しておらず、女性経験に乏しい人間であることを知っていたので、ちゃんと布団の中でイチャイチャしたからだと教えてくれた。なるほど、そういった経緯で女性の自宅に行った際には一緒の布団で相手の胸を触ってもいいのか、と思った。

彼女はそのイチャイチャしたことについて、とても引っかかっているようだった。性交渉は流石にしなかったが、中途半端に前戯のようなものだけしてしまったことについて、彼の自信を損ねたのではないかとか、逆に軽い女だと思われたのではないかとか、今後の彼との関係性をどう運んでいくかについて心配していた。

先輩は親身になって彼女の悩みを聞き、彼とどうしていけば良いか、泥酔した時の失くしものはどう探すかについてアドバイスをしていたが、僕はずっと、目の前の女性が数時間前にイチャイチャしていたことについて考えていた。

 


結局その男性も、下心を持って彼女に近づいていたのだ。彼女が嬉々として見せてきたトーク画面の彼の言葉遣いはなんだかキザっぽくて、数年前に僕がいた大学生のサークルで性欲がまるでなさそうな顔をしながら女性トラブルを起こして消えていった元浪人生の文章そっくりで鳥肌が立ったが、そういうテンプレのようなクールな素振りを見せながらも最終的には暗闇の中泥酔した女性の胸を触ったのだ。

僕はその、彼の図々しさにとても驚いていた。そして僕自身や、僕の周りの数少ない朴訥とした友人達の慎ましさにあらためて感動した。お願いだから、慎ましい人に幸あれと心の中で叫んでいた。

僕にとっては単なる性暴力の話でしかないが、名前も知らない(が何やらカッコいい名前らしい)その彼は、自分の見た目と醸し出す雰囲気と作り出した状況と自らの図々しさによって、目の前のこの女性の家に上がり、胸を揉んだ挙句今ものうのうと生きているのだ。ましてやこの女性はそれをプラスに捉えて将来のことまで考えているのだ。これは、ものすごいことだ。もしかしたら世の中の多くの男性がそうしたステップを踏んでいて、僕がそれを知らないだけなのかもしれないが、順を追って話を聞くとひどく大胆不敵な犯行だった。

 


確かに僕は、仮に今後初めて性交渉をする場合、どういった準備をすればいいのか考えていた。性的同意の話題で「紅茶を飲みたいか尋ねるのと同じ」(必ず知っておきたい「性的同意」の話。紅茶におきかえた動画を見てみよう | ハフポスト LIFE)という有名な話があるが、それをそっくりそのままやろうと思っていて、それ以外は犯罪だと思っていた。「胸を触ってもいいですか?」「性交渉をしようと思いますが、いかがですか?」と聞いて、「はい」と言われ、念のため記録媒体にも残しておいて、やっと正しい性的関係が結べるのだと考えていた。

最近世代の異なる人とも飲むようになると、割とベタベタと男性が女性に触れているところも目にするようになったが、それも僕にとってはあり得ないことだった。先日女性の先輩が飲みすぎて机に突っ伏していた時は、いくら僕が下っ端とはいえこれだけは出来ないと思い、別の女性の先輩に介抱を頼み、背中をさすっているところをぼーっと眺めていた。

確かに、本当は何も言わずに唇を奪ってほしいかもしれないし、辛い時は黙って肩を支えてほしいかもしれない。が、そうしてなんでも「暗黙の了解」の範疇に収めようとすると、いつか望まない性的行為・コミュニケーションに直面した際にもそうと伝えられなくなってしまう。それは他ならぬ女性自身の体を傷つけることになりかねないから、あくまで女性のためを考えて、こういうスタンスでいるべきなのだと心の底から僕は思っていた。

だが、そのイチャイチャの彼は(話を聞く限りでは)シチュエーションを味方につけて言葉少なに自分にとって都合の良い条件に持ち込み、「こうなった以上そういうものだから」というただそれだけの理由で相手の女性すらも気づかない間に犯行に及んだのである。

 


これがよくある何でもないことだというなら、そんな世の中の方が間違っていると思うが、しかし僕は彼のこの行為こそが、今の世の中で幸せになるために備えておくべき図々しさなのだと感じた。自分が幸せになるためなら、相手が幸せかを確かめないままに大事なものを踏みにじる(揉みしだく)大胆さ。別に性的関係だけにかかわらず、人間関係一般に通じることだと思う。僕はこの要素が決定的に欠けているが、それでも僕の方が正しいはずなんだ。なのに、この暴力的な大胆さを振るう人ばかりが幸せになっているように見えて、慎ましく生きている僕は幸せを感じられず、誰もその努力に目を向けてくれない。

要するに、何も考えず本能のままにやりたい放題やっている方がなんだか幸せそうでムカつくのだった。

 


などと考えていると、先輩と彼女は一通り議論が落ち着いて、僕にも「今後彼と彼女はどうしていけば良いか」の意見を求めてきたので、僕は「そういう異性との慎重かつ重要なやり取りを経験したことがないからわからない」と正直に答えた。