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フェミニストを自称する人たちがよく揶揄されているやつで、「彼らがいわゆる『名誉男性』であった頃の記憶は、フェミニストになってからの考えによってどんどん薄れたり歪んだりしていく」みたいな話があるんだけど、それに限っては別に馬鹿にされるようなものではなくて、自分もそうだし、大半の人もそうだと思う。

 


中学とか高校の頃について言えば、当時はそれなりに楽しくて不満もなかったけど今になってみれば失敗してたようにしか思えない。思い出を否定してるわけじゃなくて、今欲しいと思っているステータスを上げることに限って考えればもっと効率的な立ち回りがあったはず、という意味で。

あそこの時間の使い方を内向きに、無為に過ごしたから、それ以降のスタンスの取り方を間違えたし、今こうして惨めな思いをしてるんだと思う。今に合わせた過去の解釈の改変は、それが当人の中では筋が通ってたりするのもタチが悪い。

 


この10月からのドラマ「まだ結婚できない男」のHPで、阿部寛が演じる主人公桑野の人物紹介に「"人生100年時代"と呼ばれるこのご時世になった今、まだ折り返しを過ぎたばかりの人生、残りの年月をずっと一人のままでいいのかと、心の底ではふと不安になる瞬間も」とあって、いわゆる「三高」(今も言うのか?)の人間が50を過ぎてまだ独り身云々でくよくよするもんだろうかと思った。

生きていくにあたり一人ではいけないから独り身を心配するのであって、その懸念なく独り身を憂う人はなんだかファンタジーだ。そう、テレビドラマは魔法こそ出てこないものの基本的には思想のファンタジーなんだよな。リアリティを求めて「何も持たない男性が身に迫る危機感を持って本気で独り身から逃れようとする話」を書いたとしても、それは火曜21時の娯楽ではない。

 

 

まあ、一人は怖い。

自分に降りかかる全てに自分だけで対応することはできないのは本当で、だから親族のよしみや他人との合意を、自分との関係性や資産をもってどうにか取り付けるし、どうにもならなければ怖い思いをするしかない。

たとえば、自分の関係性の内ならある程度誰とでも昼飯は食えるので、ある程度の互助だってそんなふうにできたらよくて、キスにセックスに妊娠に結婚に仕事に子育てに住宅購入に教育に介護が見えてる関係性を私とはじめませんか なんてことは言うつもりはないんだ……自分は。

本当は自分も多くの人と同様に人と生きたい。一方で、そこに損得勘定を見てるのがあけすけだからダメなのかもしれん。

「他の誰でもないあなたが良い」なんてものより、「他の誰でも良いがあなたで良い」方がずっと多いことをみんな言わないようにしてるように俺には見えるけど、みんな隠すのがうますぎないか?

不本意に死なないように人と生きたい云々」と病んだように延々と語ってる自分より、運命の人と出会ったりいつか出会えるような顔したりしてる人たちの方がよっぽどロマンチックだと思ってる。