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女になったらあの、縦に縫い目が入ってるノースリーブのニットを買いたいと思った。朝起きて自分の体が女になっているのに気づいたら、しばらく困った後、ユニクロに行ってあのニットを買う。

女らしい服のイメージと言えば、ピラピラのフリルがついていたり、透けていたり、綺麗な色だったりといった要素が真っ先に挙げられると思う。ただ、そういう誰もが思うかわいらしい、女らしい服(たとえばロリータ服とか)を着ているような人はそこまで多くはない。ロリータ服を女度100だとすると、女度20〜40ぐらいの服を着てる女の人が大半な感じがする。わかります?僕が言ってること

となると、世の中に有り得るマックスの女らしさと多くの女の人が普段出力してる女らしさには結構差があって、むしろ女らしさが低い方が女らしいと言えるんじゃないか。脂ゴテゴテのラーメンよりもあっさりしょうゆラーメンの方が多くの人に食われてて、ラーメンといったらあっさりしょうゆラーメンだ、みたいなことなんじゃないか。

あのニットはピラピラでも透けてもない、女性らしい要素があまりない服だけども、実はあれを選ぶことが最も女性としてリアリティがあると思える。そう、僕はおふざけで「女子になったら甘々な服着た〜い♡」とか思ってるんじゃなくて、マジで「女になったらどうしよう……」と考えているから、ああいう服を選ぼうと決めた。

 

僕はひとつも悪くないのに、最近Instagramの検索画面に出てくるおすすめがかわいい女かガンプラだけになってしまった。たまに「何もしてないのにパソコンが壊れた」と言う機械オンチの人がいるけど、本当にそれになった。やったことと言えば、たまたまおすすめに出てきた女子がかわいいなと思ってちょっとタップしてみたのと、すごくかっこいいガンプラの写真が流れてきたのを見たぐらいで、本当に何もしてない。

僕はずっと、かわいい女だったら人生ラクショーだと思っていた。今上手くいってないことは全て、抜群の見た目があれば解決できると思っていた。でもこうしておすすめを眺めていると、かわいい女というのはごまんといるということを思い知らされる。数え切れないほどの人達がインフルエンサー、モデル、配信者などの肩書きで自分自身を収益化しようとしていて、「かわいい子にお金をあげたいおじさん達」というそんなに大きくはなさそうなパイを分け合っている。そうした中で誰が勝ち残るかとなると顔以外の部分の魅力、たとえば賢いとか、ゲームが上手いとか、料理が得意とか、音楽ができるとか、胸がデカいとか、デカイ胸に広告を載せて料理ができるとか、そういうことになってくる。結局顔がよくても戦う種目は顔が良くない人たちがやってるのとそんなに変わらないのであって、たまたまその「かわいい人限定天下一武道会」が目立っているだけのことなんだと思った。ミスコンはその典型みたいなものなんだろうけど、僕はああいうのにのめり込むことも腐すこともできないタイプだから見方が難しい。お立ち台に上がった人間に他の人間が匿名で石を投げまくって最後まで立ってた人間が勝ち、みたいな見世物がもう限界なんじゃないかと思う。去年のケチがつきまくっていた大学のミスコンもある時から情報を遮断したし、今年もなにか話題になる前から先手を打ってその類のものが見えないようにしている。

 


相変わらず毎日「何人感染!」みたいなのが出て「ああ、まだ外に出ちゃいけないんだな」と思って自宅に籠っていたけれど、ついさっきみんながバンバン出かけていることに気づいた。ありがたいことに実家暮らしなので、自分で稼がずとも飯が出てきて日がな一日ゲームをしているだけで生きていくことはできるんだけど、そりゃできるもんならバイトをしてお金を作っておきたいし、今の身分に乗じて反社会的なスケジュールで暮らしたい(ド平日に話題のお店に行くなど)。

本当に、ついさっき友達が美味そうなごはんや綺麗な景色、オシャレな店をSNSにアップしているのを見て電流が走ったように気がついたけども、これがなければ僕はこの先もしばらく家に籠っていたんだと思う。そもそも巣ごもり自体もなにかポリシーがあってそうしていたわけじゃなくて、呼ばれたらいくらでも外出していたんだった。ただ、自分の都合で飯を食ったり知らない街を見に行くために出かけたりするのはまだダメなんだろうなと思って、そういうのやってもいいよと誰かに言われるまではやってはいけない気がしていただけだった。

決してなじるわけじゃなくて、今いろんなところに出かけている人たちが何をもって出かけるという判断に至ったのかを純粋に知りたい。自分だけだとどうにも消極的に生きてしまうんだなとあらためて思い知った今、その判断基準がこの先最も必要になりそうな気がするので。