8/10

バイトであんまりいい思いをしたことがない。
上司が飲みに連れていってくれたとか、めちゃくちゃ旨いまかないを食ったとか、社割でものを安く買ったとか、そういうのが今までなかった。
唯一あるとすれば、コンビニで働いていた時に客が置いていったレシートについていた栄養ドリンクか何かの割引券を捨てようとした時に「使うんだったらもらってっていいよ」と言われたぐらいで、別にいらなかったのでそのまま捨てた。

バイト先の人とも一緒にシフトに入れば結構喋るけども、バイト以外のことで連絡をとるとか会うということもあんまりなかった。


バイトを探し始めた当初はお店屋さんごっこをやるぐらいのつもりでいたから、本屋とかDVDショップとかそういう面白そうなところで働きたいと思っていて、だけど土日は出たくないな~みたいな態度だった。もちろん学生風情が平日夜の一番人が要らない時間にチョロっと入りたいですみたいなこと言っても採用してもらえるわけがなくて、仕方なく平日も仕事がある職場として塾講師を最初に選んだ。
そこは全国展開してるまあまあ有名な塾なのに結構いい加減なシステムをしていて(もしかしたら個別指導はどこもそんな感じなのかもしれないけど)、自分が誰のなんの教科を教えるか当日塾に行くまで知ることが出来ず、何をさせるかもその子を担当した人々が書いた管理日誌みたいなのを見て即興で決めなきゃいけない仕組みだった。それが1人ならまだしも3人ぐらいを同時に相手しなきゃいけないので、1人と「前回どこまでやった?今日何しようか?」みたいな話をしてる間他の子を暇にさせちゃったり、暇にさせないようにと事前に用意していたプリントがもうやってたやつだったりと、自分が不器用なのをよくよく思い知らされる仕事で辛かった。
マナー研修でおばさんの話を聞きに行ったり、初めてポスティングの仕事をしたり、夏の間3駅先の別の校舎に1週間ほど朝から晩まで応援に行ったりしたけど、そうこうしてるうちにだんだんこの仕事向いてないのかもなと思うようになって、初めて担当した子達の受験前後ぐらいでやめた。

 

もう一つ、塾講師と並行してやっていたのが放課後の中学校で約1年間にわたって勉強を教えるって事業で、講師をやる大人は別にいるからチューターみたいな感じで学生とコミュニケーションとってくれるだけでいいよみたいな触れ込みだった。
けれども僕と一緒に配属された先生たちのまとめ役みたいなおじさんがなかなかくせ者で、学生をバカにするわ、同僚の女性講師2人をバカにするわ、授業中は教室を回って茶々を入れるわで、まあ言ってしまえば老害って感じの人だった。特に女性講師2人とは時期を経るにつれてどんどん仲が悪くなっていって、終盤はもうこの大人たちが険悪なのを学生が気にしないように雰囲気作りをしたり、双方の先生の愚痴を聞いたりといった仕事になった。学生のケアをする仕事だったはずが、同僚の大人たちをケアすることになったっていうオチ。
このおじさんのおかげで当初本部から言われていた指導の様式みたいなのがどんどん変わってしまい、僕もなぜか一部の先生たちの手に余るような学生の指導をしていたんだけど、こっちの授業の方は塾講師のとは違って楽しかった。そもそも机に座っていられないような子達だったから、とりあえず座ってもらって話すところからスタートするような、緩い授業だった。
別の学校のチューターが休んだ時に応援に行くこともあったんだけど、ある時行った学校の講師陣は僕のところの人達とはまるで違って、チューターに問題児が押し付けられることもなければ、講師同士が喧嘩することも無いところだった。別教室でまとめ役のおじさんと話しながら待機してるだけで仕事が終わりそうになったので不安になってやることがないかと聞いたら「うちのチューターの仕事はいつもこんなもんだ」と言われて、自分がとんでもないハズレを引いていたことに気づいた。あ、学生に勉強を教える環境を保つために不必要に明るくしたり大人たちに気をつかったりするのは本来の仕事じゃないんだなと。着任期間が終わってまたやらないかと誘いが来たけど、二度目はないなと思って断った。
このように、バイトに関してはいい思い出がない。

 

 

家にちゃんとしたWi-Fiの環境が整ったのがここ3年ぐらいなので、恥ずかしながらインターネットの知識に疎いところがある。
僕の世代のインターネット環境が豊かだった人であれば、フラッシュとかがギリギリわかって、うごメモとかまとめサイトとかをガッツリ見ていたのかなと思うんだけど、そういうのをあんまりわかっていない。
何より、この世代に生まれたからにはYouTuberの黎明期を見ておくべきだったんだろうと思う。ボサボサでヒョロヒョロのヒカキンがブーツクパーツク言ってたのを見て、はじめしゃちょーも東海オンエアも水溜りボンドもフィッシャーズも楽しみにしておくんだったと思う。あの頃のYouTuberはまさに僕らのような層をターゲットにいろんなやり方を開拓していたところだったんだろうと思うし、後々大きなパワーを持つことになる文化の種が花開くまでを見るのは楽しかっただろうなと想像してしまう。
しかしながら、その頃の我が家にはWi-Fi環境はなく、しばらくは通信容量月3GBのスマートフォンしかなかったので、基本的にはデータ容量の軽いインターネットの楽しみ方をしていた。本当は動画を楽しみたかったけどもそんなことをしたら月末には(本当は月の中旬ぐらいから)大変なことになってしまうので、何とか楽しめる方法はないか考え、イラストを見漁ったり、SSや小説サイトに時間を費やしたりした。動画はダメでもラジオならと考えた結果インターネットラジオに手を出すようになったので、実はそんなに悪いことばかりでもなかったのかもしれない。


月3GBのスマートフォンを与えられる前、自由に使えるインターネットを持っていなかった僕は日頃からどうにかして女の裸を見たいと思っていた。その頃の僕は割と音楽が好きだったのでTBSのCOUNT DOWN TVをよく見ていたんだけど、ある日のCOUNT DOWN TVを見終えてしばらくテレビをつけていると裸(水着)の女が現れて度肝を抜かれた。それは今はなきランク王国って番組が月一でやるアイドルDVDランキングのコーナーで、当時の僕には大変貴重な裸の女の映像だった。月一で女の裸が見られるということが、当時の自分にとっては大変な支えとなった。他にも、親の実家に行った時にたまたま深夜につけたテレビで見た女がガッツリとスカートの中を見せているシーンや、27時間テレビかなんかの深夜にやるビートたけしがAV女優かなんかにカルタさせる番組にも興奮していた気がする。

あの頃は手段がなかったからこそ全力でネタを探していた。それに比べて今の自分のなんと恵まれたことか。目に入れない方が難しいぐらいに性的コンテンツに溢れた生活を送っている。いや、それは言い過ぎかもしれないな。でも、どんなコンテンツも手を伸ばせば届く。届いてしまう。そしてそれには、あの頃ランク王国を見て感じたようなワンダーはない。エッチなものを見るぞと決めて、エッチなものを受け入れる態勢になった上で、エッチなものを消費しているに過ぎない。生理現象として血の流れは早まったとしても、そこに嬉しいとかすごいとかいう感情の起伏はないのだ。そういう意味では、エッチなものを見て興奮するということは、もう二度と自分にはできないことなのかもしれない。

 

 

いやでも最近ちょっといかがわしい感じのASMR動画見てめっちゃ興奮してるからたぶん大丈夫そう