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最近はASMRを聞きながら昼寝したり、やっと服を買ったりしているけど、まあ概ね暇で、でも出かける金もなくて困ってる。


この間のVS嵐で、何人かの芸能人の財布を中身を見ないで借りてきて、中身の合計が20万に近い方が勝ちって企画をやってたんだけど、出てくる財布がみんな高くてびっくりしちゃった。

自分はその手の携行品ってだいたい親から買い与えられたものなんだけど、もしかしてもう大抵の人は自分で財布だの時計だのを揃え直してるのか?成人になるための儀式みたいなのってそういうところに散りばめられてるような気がして、だから自分はいつまでも子供なんだと思う。

 


ホモフォビアと異性蔑視を含まないホモソーシャルの関係のことをずっと考えてるんだけどこれがどうにも難しくて、いかに自分が「女を相手コートに置いて男とダブルスを組む」ような関係の構築法をとってきたかを示してるってことだなと思った。


これは余談なんだけどWake Up, Girls!のセブンティーン・クライシスって曲を聞いてたんだけど、これが思考の種にちょうどよくて、最近よく聞いていた。同じ人を好きになる女同士の話ってところに旧来的ホモソーシャルの空気感がある。

作詞は女性っぽいのでまるまる男性の価値観を託された歌というわけでもなさそうだし、たぶん女性同士でもこの手の関係性はあり得るんだろうな。僕は実物を見たことがないのでわからないが

 

ホモソーシャルの関係はすべてホモフォビアと異性嫌悪を含んでしまうのかというとそんなことはないはずで、そうでない関係を身の回りで探していたら(ここで一晩のタイムラグ)、


きらら的時空にありそうな気がしてきた。


きらら的時空(きらら作品とかでよくある、主要な登場人物が女性しか出てこない世界)はそれ自体がものすごい男性蔑視を孕んだものだけど、シスジェンダー男性をないものとすることで見かけ上は同性愛者か無性愛者しかいなくなるという点で実験としてすごく意味がありそうですよね。


その線で考えていくと、雑誌は変わるんだけど『のんのんびより』が今テーマとしてる関係に近い。まあ、ちゃんと見たのはかなり前だし劇場版も見てないから語るに足る知識は持ってないんだけど。

メインキャラクターの女子4人は親密でありながらもその関係性の内外においておそらく性愛の要素がないし、メインキャラ唯一の男性であるお兄ちゃんは4人の輪のかなり外側で、声も出さずにいるし、合格なんじゃないですか…?これ!(ガバガバ検証)


そんなわけで、ホモフォビアも異性蔑視も含まないホモソーシャルの関係は『のんのんびより』においてその存在を確かめられることとなった。男同士でも見つけたいね