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友達(女)がSNSに水着の写真を載せていた。

この間の旅行の移動中に疲労と暑さがピークに達した時、同行人と「よし、友達(女)の水着見よう!」っつって二人でその写真を見て「おお……」「いいね」「涼しげね」となった思い出がなんか残ってて、同行人はともかくとして自分はまだ女性の体に興奮してしまうのだと思い知らされたエピソードになってる。

これいい加減にやめたいし、いい加減にやめるのもやめたい。

 


ありのままで好かれたいな〜と思っていたけど今までの人生何につけても素材そのままの自分をぶつけて成功したことがなかった。

部活も受験も臨むにあたってまあまあのコストをかけてきたし、就活だってきっとそうだと内心思っているから人の様子を伺って事前に動いている。空からいきなり自分のことが好きな女が降ってくるのはラピュタだけの話であって、僕は40秒で支度ができる人間ではない。

本当に必要に迫られているものならそれを得られるよう努力すべきなのに、そうしないのは恋愛をきっと特別視しているからなので、とても恥ずかしい。

 


自分のことを考えているのは自分だけだと本当に思っているので、「この間〇〇と君の話してたよ」とか言われたり、何かにつけて寄せ書きをもらったりするのが一番嬉しいし、きっと他の人もそうなんだと思っているからなるべくそうなるようにしている。この手のエピソードとかもらったものは、メンタルがヤバい時に反芻すると何回でも味が出るので大事にしておく。

 


他人からのほんの些細な、好意とも呼べない感情を向けられるのですらこんなことになるんだから、1人の人間にどっぷりと愛されたら人間おかしくなるんだろう。実際そういった状況にあっておかしくならなかった人を見たことがない。

基本的に愛し愛されている人は僕にとって不可解で不合理なので、あんまり近づきたくない。パートナーができた=愛され始めた人間とは距離を置きたくなるし、パートナーと別れた=愛されなくなった人間は、戻ってきてくれたと思ってしまうな。

 


恋愛周りの雰囲気が人を酔わせることをよくよく存じているつもりで、そうしておかしくなることへのマイナスイメージは割とポピュラーなものだと思ってるのに、みんな恋愛に向かうのはとうしてなんだろう、自分だけはおかしくならないって自信とか、「おかしくなってもしょうがないじゃない」みたいな認識が共有されてたりするのかな。

 

 


最近また三叉神経痛が出るようになってきたんだけど、自分の神経に自分の血管が触ってるってことで、何が悪いわけでもなくただ自分の中で完結して出てる痛みなのが皮肉っぽい。