バイノーラル創作昔ばなし『眠り火消し』(仮)

「火事と喧嘩は江戸の華」なんてことを昔から申しますが、江戸というのはそれだけ騒がしく、いつも何か事件が起こっている街だったといいます。

そんな中でもやはり火事は特別多かったものですから、八代将軍吉宗の頃には「町火消し」という今で言う消防団のようなものが作られまして、火事が起きた時には血気盛んな男たちが飛んできて消火にあたったということです。

 

これはそんな町火消しの男のお話。

 

江戸の町火消し、いろは四十八組は「み組」に世之介という男がおりました。
この世之介なかなか優秀な火消しでして、ガッチリとした体つきからは想像もつかない鹿のような軽やかさで、

「火事だー!!!!!!」

なんて半鐘がカーンカーンカーンと鳴るが早いか、纏を担いで一番乗りで現場に駆けつける頼もしい男でございました。


しかし江戸の火消しというのは何をしてても火事があれば呼び出される、気の休まるところの無い仕事でございます。


朝飯時に「ようし、それでは飯をいただくかな、いただきま」カーンカーンカーン!!!

銭湯で「ちょいちょい、そこの坊主。背中流してくれ」カーンカーンカーン!!!

夜中に「んんっ……んごっ」カーンカーンカーン!!!

 

といった具合に昼も夜もなく駆り出される生活をしてるうち、世之介にはある悩みが生まれました。

 

世「よう、長五郎」
長「どうしたい、世之介。なんだか景気の悪そうな顔じゃねえか」
世「それがよう、俺たち火消しってのは、何してても火事があれば呼ばれるだろ?」
長「そうだな。俺なんかこの間、かみさんと乳繰りあってるところで呼ばれちまってよ、褌締め忘れて出てきちまったよ」

世「バカだねえ、おまえは。それにしたってよ、俺もいつ呼ばれるかわからないってんで、最近夜なかなか寝付けなくなっちまったんだよ」
長「寝付けねえって、赤ん坊じゃあねえんだからよう……でもわかるぜ、俺たちゃ夜中でも火事があれば叩き起こされっからなあ。一晩中かかって、やっと終わって、帰って寝る頃にはもう昼だもんな」
世「だろう?そうやって眠る時間が昼だったり夜だったりコロコロ変わってくると、だんだんとなんでもない夜に寝るのが難しくなってくるんだよ」
長「それじゃあよ、それこそ赤ん坊みたいに寝かしつけてもらうってのはどうだい?おまえのかみさん。頼んでみりゃあいいじゃねえか」
世「はつにかい?バカ言っちゃいけないよおまえ、そんなこと頼めるかい」

 

その場では笑った世之介ですが、火消しの詰所から長屋に帰ってくる頃には、やはり少し頼んでみようかという心持ちになっておりました。

 

世「はつ、今戻ったよ」
は「あらあ、おかえりなさい。ご無事で何よりでした」
世「腹が減っちまった、飯あるかい?」
は「すぐ支度できますんで、休んでおいてください」

 

は「はい、おまちどうさまでございます」
世「よしよしよし、じゃあいただこうかね」
は「それでは私も、いただきます」
世「……おまえよ、赤ん坊寝かしつけたことってあるかい?」
は「赤ん坊……ですか?そうですね、歳の離れた弟がおりましたから、よく寝かしつけておりましたよ」
世「そうかいそうかい」
は「どうかなさいました?」
世「いやね、どうも近頃はよく眠れないもんで、それを長五郎に話したらはつに寝かしつけてもらえって言うもんだから」
は「ああ、それで!では私が寝かしつけて差し上げますから」
世「いやあ、そりゃ頼めないよおまえ、俺は赤ん坊じゃあないんだからよう」
は「眠れないんじゃ火消しの仕事もままなりませんよ。私におまかせくださいな」

 

いつもはなかなか弱音を吐かない旦那の悩みを解決したいということで、はつは夕飯を食べ終えるやいなや、えらく気合いの入った様子で何やら支度をしておりました。

 

その日の夜九つ(午前0時)頃、世之介は布団に入っておりまして、またどうにも寝付けないとうんうん唸っておりますと、ごそごそっと音を立てて、はつが世之介の枕元に参ります。

 

は「世之介さ〜〜ん、起きてらっしゃいますか~~」
世「うわあ!はつ、そんな耳元でこそこそ喋るんじゃあないよおまえ、背筋にぞわっときたよ」
は「起こしてしまっては悪いかと思いまして。眠れないのですか?」
世「そ、そうだなあ……」
は「それでは私が眠るお手伝いをいたしますから、私の言うことに従ってくださいな」
世「そうかい……?それじゃあお願いしようかな……」
は「はい!それではまず、呼吸を整えましょう」
世「お、それらしいじゃねえの。眠るためには息が大事なんだね」
は「じゃあまず、大きく息を吸って~」
世「はいはい、すぅ~~~〜〜〜」
は「吸って〜〜」
世「すぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
は「吸って〜……」
世「すぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(まだかい?)」
は「すっ……」
世「すぅ〜〜〜〜〜〜〜……っはぁっ、ちょ、もう無理だ、吸うのが長すぎないかい?おい?は、はつ?はつさん?」
は「…………んあ、は、はい!?あれ?世之介さん?起きてらっしゃいますか?」
世「そっくりそのままおまえに聞きたいね、はつさん今寝ちゃってたね、振り出しに戻っちゃってるもの」
は「は!ごめんなさい、眠ってもらうための準備をしていたら私も疲れてしまっていたみたいで」
世「いやいや、構わないよ。今日はもう大丈夫だから、おまえも眠りなよ」
は「そうはいきません!世之介さんに寝てもらうのも私の仕事でございますから!」
世「こりゃまた偉く気合が入ってるね。じゃあお願いするけども、無理はしないでくれよ」
は「それでは先程の続きから参りますね。呼吸は深く長くするのを忘れずにやってもらいまして、耳元でいろんな音を出しますんで、それを聞いていてください」
世「いろんな音?うるさくっちゃあ俺は眠れないよ」
は「それが、世の中には聞いていると心が休まる音というのがございまして、そういうものに耳を澄ましているうちに寝てしまうことがあるんですよ。今回は私がそうした音の出るものを持って参りましたので、まあ何も言わずに聞いていてくださいな」
世「なるほどね、ひとまずやってもらおうじゃないの」
は「まず1つ目はこちらの紙でございます。こちらを叩いたり、擦ったり、破ったりいたします」

 

ぱさっ

 

たたん たたん たたん

 

たたん たたん たたん

 

ぱさっ

 

さすさすさす さすさすさす

 

ぱさっ

 

さすさすさす さすさすさす

 

びり びりびり びり

 

は「いかがですか~、続きましてはこちらの椀を使いまして、」

 

ここん ここん ここここん

 

かぽっ……

 

こぉぉーーー……

 

ぽわっ

 

といった具合にはつが耳元で様々な音を立てますと、普段はなんでもない音が、耳を澄ませているとどういうわけだか良い心地。聞いているうち、いつの間にやら世之介は眠っておりました。

 

世「んんっ、……と、よく眠れたなあ……」
は「あら世之介さん、おはようございます。いま朝飯の支度ができますので」
世「おお、そうかい。寝起きがいいから飯もよく食えそうだ。はつのやってくれた音、ありゃすごいもんだね」
は「大したことはしておりませんよ。またいつでもして差し上げますから」

 

旦那の役に立てたと嬉しそうなはつ。その様子を見た世之介、その後もちょくちょく寝かしつけを頼むことにいたしまして、ひと月ほどが経ちました。

 

世「はつ、相変わらず悪いけども、ちょいと今夜も頼めるかい」
は「もちろんですよ。それでは本日も……」


はつが世之介の枕元にすすーっと来まして、今日は手ぬぐいの音から始めようとしたその時、

 

にゃーーお

 

長屋の扉の向こう、裏路地から猫の声がしてまいります。

 

にゃーーーお にゃーーーお

 

すさ……さささ……

 

んにゃーーーーお、んにゃーーーーお

 

はつが揉む手ぬぐいの音をかき消すほどの、盛った猫の声。
しかし世之介、ひと月も様々な音を聞いておりましたので、

世「(なるほど、これも眠るための音か)」

と聞き入ります。なんだか騒がしい様子ではありましたが、その日も散々働いてきたのもあって、世之介はいつの間にか眠ってしまっておりました。

 

またある日。

は「それでは本日もはじめますね……」

 

じゅわっ じゅわっ

 

じゅわ~〜~〜~

 

こお~〜~〜~〜~〜~

 

と、はつが音を立てておりましたところ、

 

「こらっ!またおまえは寝小便して!」
「ひぃ~〜~〜ん!ごめんなさい~〜~〜~!!」

 

それをかき消すように聞こえてきたのは、長屋の隣の部屋の声。
どうやらそこの坊主が寝小便をしたようで、それに気づいた母親に叩き起こされ、わけもわからず怒られているようでございます。
しかし世之介、

 

世「(なんだい、今日の音はえらく騒がしいじゃねえか。まあこういうどこにでもありそうな会話の音ってのも、効果があるんかねえ……)」

 

なんて思いまして、眠り込むためうんうん頑張ります。はつが水か何かの音をたてているのも気づかず、隣の母親の叱る声を聞いているうち、世之介はまた眠ってしまっておりました。

 

江戸時代の長屋は壁なんてあってないようなものですから、このようにいろんな音が聞こえてまいります。猫の声、犬の声、隣の家の声、向かいの家の声、通りの喧嘩の声、酔っぱらいの声。
世之介はそんなものをわざわざ耳をそばだてて聞いて、無理やり眠っていたわけでございます。

 

そしてまたある晩。
はつ「それでは今夜もお願いいたしますね……」

 

ぴちゃっ ぴちゃっ

 

ちゃっ ちゃっ ちゃっ ちゃっ ちゃっ ちゃっ

 

ぽたっ…… ぽたっ……

 

……ぱちぱち……

 

……ぱちぱちぱちぱち……

 

……かーん かーん かーん かーん……

 

……あっちだ…… はやく……

 

……ごぉぉぉぉぉお……

 

世「(なんだか今晩はやけに聞いたことがあるような……まあこういう聞き慣れた音もいいもんだね……)」

なんて思っているうち、世之介はまた、眠ってしまっておりました。

 

明くる朝。
目を覚ました世之介の目に入ったのは青い空。しばらくぼうっとしておりましたがやがてこりゃおかしいと飛び起きまして、辺りを見回します。すると目の前には、真っ黒に燃えた建物。隣には敷かれた藁の上ですうすう眠っているはつ。混乱した世之介は瓦礫を片している火消しに声をかけます。

 

世「おっ、おい、なんだいこりゃ!一体何があったんだい!?」
火「何っておまえ見りゃわかるだろう、火事で長屋が燃えちまったんだよ。まあ幸い中にいたもんは全員無事だったけどな。それにしてもおまえと嫁さんはあんな火事でよく起きなかったね。周りのもんがみんな逃げ出してる中、部屋の中で二人して眠ってるもんだから慌てて担ぎ出したんだよ」
世「そ、そうかい……そいつは世話になったな……」

なんとか命拾いした世之介とはつ、すぐに新しい家も見つかりましてまた元通りの生活が始まったわけですが、何やら世之介には一つ問題ができてしまったようで……

 

カーンカーンカーンカーン!!!!

火事だあーーーーー!!!!

世「よしきた!」

 

纏を担いで火事の現場へ向かう世之介。「み組一番乗り」の通り名に恥じない速さで燃え盛った建物の前まで来たところで

 

世「よしっ、それじゃあ……すぅ……すぅ……」

 

その場でばたりと倒れ込み、眠り込んでしまいます。

追いついた長五郎ほか、み組の他の者が消火にあたりますが世之介はそんなこともお構い無しに寝息を立てております。
なんでも世之介、はつの寝かしつけの音を聞いているつもりがずっと別のうるさい音を聞いていたために、いつの間にやら「大きな音を聞かないと眠れない」ようになってしまっておりました。特にこの間の火事からこっち、火事の音を聞くと特別眠くなってしまうようでした。

 

長「親方、世之介のこれは一体どうしたもんかねえ……」
親「……最近は街で喧嘩を探しては隣で眠り始めるもんだから、みんな気味悪いってんで騒がしいのがめっきり減ったらしい。火事と喧嘩は江戸の華とはよく言ったもんだが、火事より喧嘩を消して回る火消しなんか聞いたことがねえな」

 

なんてぼやく親方の足元、纏を抱きしめた世之介は大層幸せそうに眠っておりました。